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【アロエの歴史】 アロエが薬用として用いられるようになったのは、何と紀元前20〜30世紀の大昔にさかのぼります。 薬の発達していなかった古代の人々は、いち早くアロエの薬効を発見して、怪我や病気の治療に用いていたのです。病にかかったというと、呪術にたよるしかなかった頃の人々にとって、確実な効用を発揮するアロエは、どんなに重宝なものであったことでしょう。以来人類は、アロエを民間薬として用い続けてきたわけです。 西欧での歴史 アロエが薬用に用いられという最も古い記録は、エジプトのピラミッドで発見された「エーベルス・パピルス」です。ミイラの膝の間に置かれていたというこのパピルスには、センナなどとならんで、アロエに下剤としての効用があることが記されています。 アロエに怪我の治癒効果があることが判ったのはもう少し後のことで、ヘレニズム文化時代の頃には傷薬として使用されています。 アロエの薬効が多角的に研究され、最初に文書として残されたものとしては、ディオスコリデス「ギリシャ本草」があります。 その他、「新約聖書」の“ヨハネによる福音書”第19章の終わりの部分にも、アロエが香料としても使われていたことが記述されています。 12世紀には、ドイツ薬局方にも記載されるようになりました。また、ヒエロニムス・ボック(1498年〜1554年)という人の書いた本草書では、「ギリシャ本草」に記載された薬効が全て正しいことを確認しています。 中国での歴史 アレクサンドロス大王のペルシャ遠征によって、イランにまで広まったアロエの効用は、やがてシルクロードを経て中国にまで伝えられることになります。西城の薬物が大量に中国へ伝えられたのは唐代の事と言われていますから、アロエがもたらされたのもこの頃と思われます。 アロエに関する記述が、初めて中国の書物に表われるのは、勅命による公定本草の中です。宋朝の太祖・趙匡胤(チョウキョウイン)の命で開宝6年(973年)に完成した「開宝新詳定本草」20巻がそれです。嘉祐2年(1057年)に大幅に改訂され、「嘉祐補注神農本草」として創刊されております。その後、再び勅撰の本草書が編まれましたが、政和6年(1116年)に完成したので、「政和新修経史証類備用本草」30巻と呼ばれています。 なお蘆薈(ロカイ)というのはアロエの中国名ですが、日本でも一部では使われています。 アラビア語あるいはギリシャ語のアロエが中国に伝えられた時、「ロエ」つまり蘆薈(ロカイ)と音訳されてそのまま名称となったと伝えられています。また、蘆が黒を意味し、薈が集まることを意味するため、アロエを煮詰めてできた樹液の形状を表現したものだという説も「本草原始」という本にあります。真偽のほうは判りません。 日本での歴史 日本にいつ頃アロエが伝えられたかについては、定説がありません。 鎌倉時代に伝えられたという説もありますが、長崎を中心とする九州各地に多く自生しているため、宣教師によってもたらされたとする説もあります。もし、キリスト教の宣教師が伝えたのだとすれば、日本に初めて渡ってきたフランシスコ・ザビエルが鹿児島についたのが天文18年(1549年)ですから、室町時代以降ということになります。 文献の中で最初にとりあげられているのは、宝永6年(1709年)に著された、貝原益軒(江戸前期の儒者、本草学者)の「大和本草」です。 しかし、園芸植物として多くの種類が伝えられるようになったのは、明治から昭和初期にかけての頃で、薬用植物として広く普及するのは、戦後になります。
【アロエの種類】 アロエの種類については、現在では世界で600種くらいあるだろうと言われています。主な原産地はアフリカ大陸で250種以上、マダガスカル島に約40種、それから西インド諸島、カナリヤ群島、アラビア方面にも分布しています。もともと熱帯、亜熱帯の植物であったものが、日本での普及にも見られるように、現在では世界各地でかなり広範囲に分布しています。日本にも180種類ほどあります。 <薬用植物> キダチアロエ 日本で一般的に普及している比較的寒さに強いアロエです。昔から医者いらずと呼ばれ、民間薬として親しまれてきました。 アロエベラ 西インド諸島のバルバドス島の原産。肉厚の大きな葉が特徴的。アロエベラの半透明の葉肉部分に、アミノ酸類、ビタミン類、ミネラル類、酵素類、多糖体、食物繊維などたくさんの栄養素が含まれます。 ケープアロエ 南アフリカ共和国のケープ集を中心に栽培され、加工したのちに輸出されます。日本でも、日本薬局方に記載され、薬の原料としても活用されています。 ソコトラアロエ 半透明の黄褐色樹脂様物質中にアロイン(アロエに含まれる成分)の微細な方形結晶が数多くみられます。東北アフリカ、ソマリア沖のソコトラ島が主産地です。 <観葉植物> アロエ・フーミリス(帝王錦) 南アフリカ共和国ケープ集南部の、グレートカルー高原東部山間地帯に自生しているものが原種。葉は細くて多肉、柔軟なのが特徴です。繁殖力が強く群生します。 アロエ・スピノシッシマ(七宝錦) 帝王錦を母種とする交配種です。キダチアロエよりも耐寒性が強く、年中戸外で栽培ができます。 アロエ・アリスタータ(綾錦) 南アフリカ共和国ケープ集東部から、オレンジ自由州、ナタールにいたる山岳地帯に自生しています。葉の特徴は扁平で、先端は尾状に伸び、さらに長い毛状の棘で覆われています。 アロエ・ブレウィフォーリア(竜山) ロゼットの径が10〜12センチ。葉数20〜40枚。繁殖力が強く群生します。葉は灰色で内側に曲がっているのが特徴です。 アロエ・ブレウィフォーリア・デプレスサ(不死鳥) 竜山の変種、竜山に比べ葉の幅が広く、内曲していません。 アロエ・ワリエガータ(千代田錦) 南西アフリカのリトルナマカランドからベチュアナランド、ケープ州西北部を経て、グレートカール高原北部に自生しています。葉が三列生で蜜に重なり合い、ロゼットの形状も三角柱状となっているのが特徴です。 高温多湿に弱く、夏季は涼しく風通しの良い所で、乾燥気味に育ててあげる必要があります。 アロエ・キリアーリス(細茎アロエ) 南アフリカ共和国ケープ州東部に自生しています。花は赤色で先端が黄色です。 アロエ・ストリアツラ(椰子アロエ) 南アフリカ共和国ケープ州東部に自生しています。茎は木質で低く、塊根は発達しないのが特徴です。耐寒性が強く、庭園樹として親しまれています。 アロエ・ノビリス(不夜城) 南アフリカ共和国のグレートカルー高原、リトルカルー高原あたりが原産地であろうといわれています。葉には白粉がほとんどなく、イボが大きいのが特徴です。繁殖力が強く、日本でも広範囲に普及しています。 アロエ・フェロックス(青鰐) 生薬のケープアロエの原植物です。南アフリカ共和国のリトルカルー高原、グレートカルー高原、ナタールからオレンジ自由州にかけて広く野生化しており大群落がみられます。 幼苗の葉には棘が多いのが特徴ですが、成株になると少なくなります。 アロエ・マーロッシィ(鬼切丸) 青鰐の自生地よりも北側に分布し、特に南アフリカ共和国のトランスバール地方に多く自生しています。青鰐よりも葉背の棘が多く、中株、成株になっても消えないことが多いのが特徴です。青鰐は、花穂が上に向きますが、この種では横を向きます。 アロエ・ラティフォーリア(武者錦) 南アフリカ共和国の東カルー地方が原産地です。葉が厚くて幅広く、色の濃いのが特徴です。 この他にも、広葉、雪女、女王錦、紫光錦、唐錦、羅絞錦、小夜にしき、野羅仙女、花蟹丸、五重の塔、ソロモン王の碧玉冠など、面白い名前のついたものが数多くあります。
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